低迷からの脱出。

2008年 11月 11日

【一筋の光明】

山笠期間の営業は相変わらず売上低迷。
ただ明るい要素として車庫となっている博多百年蔵にて、呉服会社主催のゆかたパーティがあるという情報を知人から入手。

日曜日の夕方開始ということで昼間の業務終了後、酒蔵へ帰還。
比較的ご年輩の女性だけの集まりで、車夫の格好をした私と小串氏への受けはよく、一緒に写真を撮ったり少しだけご乗車していただいたりと中々評判よかった。

その後、パーティの宴席の中に加わるよう勧められ、お酌をしたり逆にお酒を勧められたりと、もうほとんどホスト状態。なんだか前の会社で得意先を交えた宴会をやっているのと同じノリであった。
どうもこの仕事も前職同様、(年輩の)女性とご縁のある仕事になりそうな予感を感じ始めていた。

もう一つの明るい要素は夜の観光営業である。
山笠は15日早朝の追い山でクライマックスを迎えるが、その直前の14日が日曜日だったこともあり、神社周辺は夜になっても大勢の人でごった返していた。

そんな折、たまたま出くわしたご婦人二人から博多駅前のホテル日航までご乗車を依頼される。
初のルートでもあり、大通りに面していない裏道を通ることにするが、夜はあまり人目も気にならず、20分位の道のりを快適にご乗車していただくことができた。また、大博通り沿いのホテル前に到着すると、さすがに珍しい光景でもあり、ロビーにいらっしゃった方がぞろぞろと車寄せのところまで出て来られた。

私がお礼を言っている間に、その場に居合わせた周りの方にお客様が宣伝をして下さり、できればみんな乗りたそうな感じであった。
しかし、車は1台しかないので一組の若い女性の方だけ乗せて今度は博多駅へ向かうことになった。
その際にご乗車いただいた方からも、
「これは博多の夜に合いますね。」
とうれしい言葉をいただき、上機嫌で駅へと駆け抜けた。

後々のノウハウとなっているが、お客様が人力車に乗り降りされるタイミングは新規のお客様をつかむ絶好のチャンス。つまり他の誰かが乗車されている既成事実を見たり、またこれから乗下車しようという光景を見ることによって「私も乗ってみたい」という人間心理に火がつき積極的にアプローチされるようだ。
この時の経験から「夜の観光営業」という場面設定に一筋の光明を見出した次第である。

【イベント初仕事】

山笠終了後、いつも通り抜けさせていただいてた聖福寺(日本最古の禅寺)隣の花ぞの保育園様より園児たちに体験乗車させてもらえないか、といった依頼を受ける。
これが寸志ながらもギャラをいただく初のイベント仕事となった。
ただ園児たちを乗せている時に、たまたまお寺の住職に見つかり「保険にはちゃんと入っとるのか!」と一喝され一瞬びびったが、きちんと手続きしている旨説明し事なきを得た。

このお寺ではその後、座禅を組む機会があり、その際に住職の講話を拝聴した。近所の方には恐いイメージで通っている住職であったが、この時の講話はとてもいいお話だった。
述べられた趣旨は「明治時代の日本人は偉大であった」ということ。この時以来仕事柄もあるが、古きよき時代の"日本人"を潜在的に意識するようになった。

8月に入りA新聞社の方より取材依頼があり、気軽に引き受ける。

そして迎えた8月10日(土曜日)。
この日は自分達がデビューした博多町家ふるさと館の開館一周年にあたり、寸志+自主営業でイベント運営を行うことになった。
地元の方中心の夏祭りイベントでもあり、料金をお一人様500円に抑え10分くらいのコース設定をして待ち構えることに。この時人力車はまだ1台で車夫も私と小串氏の2名のみ。

午前中はそれほど人出もなかったが、午後から急に人の数が増え次第にひっきりなしに動かす状態に。そのうち行列が途切れない状態にまで陥り、急遽コースを半分くらいに短縮。それでも長い行列は途切れることなく何と午後3時から夜9時終了までの6時間、ノンストップで運行する結果となった。
つまり私と小串氏のどちらかが必ず車を曳いて走っている状態で、運んだ方の延べ人数なんと96名!この記録(一台あたり)は12年後(平成20年時点)の現在に至るまで破られていない。

博多の方がいかに新し物好きかをうかがい知ることのできるエピソードでもある。

業務終了後、二人でふらふらになりながらも酒蔵まで車を運び、とにかく喉がカラカラなのでビールを飲みに平尾のにくしん(焼鳥屋)へ。
あまりの喉の渇きに食べ物はそこそこに「生」「生」「生」と大ジョッキを一気に3杯もおかわりした。

この喉の渇きも過去最高であろう。でもやっと理想的な仕事ができた充実感で心も身体も大満足。この仕事やってよかった~!!!

to be continued・・・

商売は心理ゲームだ!

2008年 9月 24日

【二台目の人力車とトラックへの投資】

平成8年11月7日(木)二台目の人力車納車。

かねてよりイベント時の一台での運営には無理があることを認識し、思い切って投資。また同じ頃、小串氏より知人の整備工場に中古のトラックがあるので見てみないか、といった連絡が入る。

即、小串氏と共に二日市まで出掛けモノを見せてもらう。

外装を真っ白に塗り直した1トンの箱車(ベースはトヨタ・ハイエース)で今まで布団屋さんがリースで使用していたという。
布団屋さんだけにほとんど痛みもなく中古車の程度としては上。
しかも箱車に改造するだけで100万円以上もかかるものが60万円弱の売値で出ていた。

これまで遠方への出張にはレンタカーを利用していた為、この経費が馬鹿にならない。今後の展開を考えればこのトラックは何としてでも手に入れたい、と判断し購入を決断。

実はこの時、トラックの寸法を正確に測らず勝手に2台の積み込みが可能であろうと思っていたのだが、実際に載せてみるとぎりぎりセーフの大きさ。
購入した後になってほっと胸をなでおろしたというのが本音だ。

【フリーター復活】

週末の夜限定の中洲営業は1ヶ月半ほど継続してみた。
ただいかんせん飯が食えないことには存亡も危うく、11月頃には再びフリーター中心の生活に舞い戻り、自然消滅した格好になってしまった。

この当時出向いた主なバイトはキャラクターショー裏方スタッフ(カーレンジャー・ドラゴンボール)、テント設営撤去、運送会社トラック助手、熊本ドーム建設現場、引越し作業、リサイクルショップ・ドライバー兼運搬員、等。

【七五三のニーズ発見】

下関在住の妹との電話での何気ないやり取りの中で
「七五三の時は着物でお宮参りに出向くので、仕事になるのでは?」
みたいな話を聞き、早速規模の大きな筥崎宮に交渉。
とりあえず11月半ばの土日限定ということで、了承をいただく。

11月16日(土)小串氏と共に人力車1台で出向き境内にて待機。
私の記憶ではお子様の乗車が中心になるということで、参道での試乗体験を一回500円、ポラロイド写真一枚500円の料金設定で当初は運営したと思う。

七五三時期の営業自体初めてのことなので、こちらも要領を得ず最初はかなり胡散臭そうな目で見られた。中にはこちらと視線を合わせないように子供の手を引き、足早にその場を去って行く方までおられた。

ただ、誰か一人が乗車されると、それにつられて次々に乗車されたり、動かなくてもいいから手持ちのカメラで写真だけ撮らせて欲しい、といったニーズが次第に出てきた。この「手持ちのカメラで写真だけ撮らせて欲しい」というニーズに対する
料金設定が最も難題であった。結局、≪お代=賽銭箱へお気持ちを入れてもらう≫という事に。
初日は間に合わなかったが、その日の夕方川端商店街で購入した5,000円もする賽銭箱を携え、翌17日(日)再び筥崎宮に出向く。
この時はより相乗効果を考えて人力車も二台動員し、作戦決行。この作戦が見事にあたった!

【商売は心理ゲームだ!】

最初のお客様が近寄って来るまでには少し時間を要したが、一旦誰かが利用しているのを見るや次々とお客様が寄って来られた。

しかもお代=お気持ちということで各自自由に小銭を賽銭箱に入れてくださるので、釣銭の必要もない。

お昼ごろにはピークを迎えて人垣ができ、順番待ちの行列までできていた。
この段に至っては小串氏と二人、必死でお子様方を車の上に担ぎ上げては
降ろすという作業に没頭。

ふと「本当にみんな代金を入れてくれているのだろうか?」という思いが頭をよぎり、賽銭箱に視線を移して驚いた。何とそこには千円札が多数押し込まれているではないか!しかも一旦千円札が入っているのを見ると、次々に千円札が入って来る。

当然「お気持ち」ということであるから、こっそり小銭を入れる方ももちろんいらっしゃる。でもより多くの方に利用してもらうために苦肉の策で考えたこの作戦は大成功だ!と表情には出さないものの心の中で思いっきりガッツポーズをした。この時の経験からまさに「商売は心理ゲームだ」ということを確信した次第である。

to be continued・・・

厳しさと温(ぬく)もりと。

2008年 7月 25日

【婚礼初仕事】

8月18日(日)「一つある会」にて知り合ったKさん(通称りょうまさん)の結婚式に初の婚礼仕事として呼んでいただく。
が、何と会場は桜坂にあるセレナーデというレストラン。

幸せの門出を祝うお手伝い。福岡在住の方ならご承知のとおり、すごい急勾配の坂道のある場所だ。
坂を下った場所にある和食の店で二次会をやるので、そこまでの移動に利用したいという。
どう考えても一人の力であの急坂を下りきるのは危険なので、友人衆にも後に回って車を支えていただくよう了解をもらった上でゴーサインを出した。
婚礼当日、福岡の会場では人力車初お目見えとあって、出発前に全員で記念撮影をする際には異常な盛り上がりを見せた。そして大勢の友人に囲まれた車はまるで御輿のような状態で無事二次会会場にたどり着いたのであった。

【門前払い状態の営業】

翌日のA新聞夕刊。以前取材を受けた時の記事がでかでかと掲載される。
見出しは「博多の街に人力車戻る」
さすがにインパクトはあったようだが、この記事を見て問合せをされてきたのは仕事の依頼ではなく、いずれもマスコミ関係の取材依頼の話ばかり。
その第一陣がRKB、KBC、FM福岡といったラジオ局で続く第二陣がTNCのテレビ局といった感じ。
まあ、単に変わり者が人と違うことをやっているだけのことだが、マスコミに取り上げられれば何らかの宣伝にはなると思い、来るものは拒まず精神で全てお引き受けした。
その合間にも何とか仕事に結びつけようという一途な思いだけで色々な場所へ営業に出向いた。
筥崎宮の夏越祭や博多おくんち、ホテルを筆頭としたブライダル関連会社、料亭、そして極め付きはオープンして間もないキャナルシティ運営会社。
ここのT社長には以前山笠の時に偶然お会いしていたことから、社長室にいた私の高校のOBの方を訪ねて行く。この時はさすがに気合を入れて生まれて初めて作成した企画書を携えて緊張の面持で乗り込んだ。
この日の手帳には「決戦。生か死か!」と記入しているとおりその時の意気込みは相当なものだった。
が、その結果は見事に玉砕!営業に出向く先全てがアイデアだけは面白いと言って下さるが、全く仕事には結びつかない。
とにかくほとんど実績がなく創業して3、4ヶ月の状態では信用も限りなくゼロに近く当然のことであろう。
これまで訪販の化粧品の世界しか知らず、これから自分が関わろうとしている業界のことや商習慣、取引先とのコネクション、どれをとっても全くの白紙状態であった。

【屋台の方との出会い】

そういった営業活動と並行して以前可能性を見出した「夜の観光営業」を少しずつでも実行するべく、9月初旬の土曜日夕方から実験的に動き始めた。
特にあてがあるわけでもなく、昭和通りを中洲方面に向かい、ちょうど中洲バス停前にある「大政」という屋台にさしかかった時に中にいるお母さんから呼び止められる。

お母さん「あらー、どうしたと?」

「夜の観光案内みたいなことをやろうと今日初めて中洲まで出て来ました」

お母さん「そうね。まあ私がおごるから一杯飲んで行きなさい」

言われるままに小串氏と二人ビールをご馳走になり、しばらくその屋台でお客様を交えて話し込んだ。
この時、単身赴任のおじさんに「ご祝儀や!」のノリで初乗車までしてもらい、不安な気持ちも薄れて本当にうれしかった。
それまで会社関係や団体の方に時に冷たくあしらわれていたのとは逆に、見ず知らずの自分たちを歓迎してくれ、声援を送ってくださった優しさは今でも鮮明に覚えている。
しかもちょうど屋台を改装したばかりの時期で翌週に予定していたお得意様のみ招待の感謝デーに仕事として呼んでいただけることになった。
その場にあまり長居するわけにはいかないので、屋台にいる皆様に丁重にお礼を言った後、那珂川周辺をぐるぐると流しながら乗車希望者を探す。

週末(土曜日)の夜は近隣の会社もほとんど休みの為、県外の方と遭遇する確率も高い。中洲のネオンをバックに人力車で散策という粋な楽しみ方を発見し、昼間よりは需要はあるなという手応えを少しだけ感じた初めての中洲の夜営業となった。

to be continued・・・

理想的な仕事ができた充実感!

2008年 5月 9日

【一筋の光明】

山笠期間の営業は相変わらず売上低迷。

ただ明るい要素として車庫となっている博多百年蔵にて、呉服の会社主催のゆかたパーティがあるという情報を知人から入手。日曜日の夕方開始ということで昼間の業務終了後、酒蔵へ帰還。比較的ご年輩の女性だけの集まりで、車夫の格好をした私と小串氏への受けはよく、一緒に写真を撮ったり少しだけご乗車していただいたりと中々評判よかった。
その後、パーティの宴席の中に加わるよう勧められ、お酌をしたり逆にお酒を勧められたりと、もうほとんどホスト状態。なんだか前の会社で得意先を交えた宴会をやっているのと同じノリであった。どうもこの仕事も前職同様、(年輩の)女性とご縁のある仕事になりそうな予感を感じ始めていた。

もう一つの明るい要素は夜の観光営業である。

山笠は15日早朝の追い山でクライマックスを迎えるが、その直前の14日が日曜日だったこともあり、神社周辺は夜になっても大勢の人でごった返していた。そんな折、たまたま出くわしたご婦人二人から博多駅前のホテル日航までご乗車を依頼される。
初のルートでもあり、大通りに面していない裏道を通ることにするが、夜はあまり人目も気にならず、20分位の道のりを快適にご乗車していただくことができた。また、大博通り沿いのホテル前に到着すると、さすがに珍しい光景でもあり、ロビーにいらっしゃった方がぞろぞろと車寄せのところまで出て来られた。

私がお礼を言っている間に、その場に居合わせた周りの方にお客様が宣伝をして下さり、できればみんな乗りたそうな感じであった。
しかし、車は1台しかないので一組の若い女性の方だけ乗せて今度は博多駅へ向かうことになった。その際にご乗車いただいた方からも「これは博多の夜に合いますね。」とうれしい言葉をいただき、上機嫌で駅へと駆け抜けた。

後々のノウハウとなっているが、お客様が人力車に乗り降りされるタイミングは新規のお客様をつかむ絶好のチャンス。つまり他の誰かが乗車されている既成事実を見たり、またこれから乗下車しようという光景を見ることによって「私も乗ってみたい」という人間心理に火がつき積極的にアプローチされるようだ。

この時の経験から「夜の観光営業」という場面設定に一筋の光明を見出した次第である。

【イベント初仕事】

山笠終了後、いつも通り抜けさせていただいてた聖福寺(日本最古の禅寺)隣の花ぞの保育園様より園児たちに体験乗車させてもらえないか、といった依頼を受ける。
これが寸志ながらもギャラをいただく初のイベント仕事となった。
ただ園児たちを乗せている時に、たまたまお寺の住職に見つかり「保険にはちゃんと入っとるのか!」と一喝され一瞬びびったが、きちんと手続きしている旨説明し事なきを得た。

このお寺ではその後、座禅を組む機会があり、その際に住職の講話を拝聴した。

近所の方には恐いイメージで通っている住職であったが、この時の講話はとてもいいお話だった。述べられた趣旨は「明治時代の日本人は偉大であった」ということ。この時以来仕事柄もあるが、古きよき時代の"日本人"を潜在的に意識するようになった。

8月に入りA新聞社の方より取材依頼があり、気軽に引き受ける。そして迎えた8月10日(土曜日)。この日は自分達がデビューした博多町家ふるさと館の開館一周年にあたり、寸志+自主営業でイベント運営を行うことになった。

地元の方中心の夏祭りイベントでもあり、料金をお一人様500円に抑え10分くらいのコース設定をして待ち構えることに。この時人力車はまだ1台で車夫も私と小串氏の2名のみ。

午前中はそれほど人出もなかったが、午後から急に人の数が増え次第にひっきりなしに動かす状態に。そのうち行列が途切れない状態にまで陥り、急遽コースを半分くらいに短縮。それでも長い行列は途切れることなく何と午後3時から夜9時終了までの6時間、ノンストップで運行する結果となった。
つまり私と小串氏のどちらかが必ず車を曳いて走っている状態で、運んだ方の延べ人数なんと96名!
この記録(一台あたり)は12年後(平成20年時点)の現在に至るまで破られていない。

博多の方がいかに新し物好きかをうかがい知ることのできるエピソードでもある。
業務終了後、二人でふらふらになりながらも酒蔵まで車を運び、とにかく喉がカラカラなのでビールを飲みに平尾のにくしん(焼鳥屋)へ。
あまりの喉の渇きに食べ物はそこそこに「生」「生」「生」と大ジョッキを一気に3杯もおかわりした。この喉の渇きも過去最高であろう。
でもやっと理想的な仕事ができた充実感で心も身体も大満足。この仕事やってよかった~!!!

to be continued・・・

心も体も大満足!!

<集客>のための試行錯誤。

2008年 3月 5日

【前途多難な仕事】

午前中、酒蔵に保管している人力車を取りに行き、そこで衣装に着替えて約20分の道のりを徒歩で移動。
これがその後約2週間の日課となった。

しかし売上はそう簡単に上がるわけもなく、スタッフは小串氏と2名いるにも関わらず、一人分の人件費も賄えないレベルであった。
色々と場所を移動したりポラロイドカメラを用意したり、手持ちのカメラで写真撮影をされる方用に招き猫の貯金箱を置いてみたりと試行錯誤の連続。
大ボケなのは川端商店街のど真中に人力車をセッティングして客引き行為をするという、今考えると赤面もののことまでやっていた。この時はとにかくどうすればお客様が人力車に乗ってくれるか、という思い一心で肝心のお客様心理のことにまで頭が回っていなかった。

ある時JR博多駅前に移動し、そこで待機していると一人のおじさんが乗車してくれることになった。

乗るまではよかったものの、いざ車上の人になってみてものすごく目立って恥ずかしいことに気付いたおじさんは手元のタオルを顔に巻いて人目に触れないようにされた。
せっかくお金をいただきながらそれ程までに恥ずかしい思いをさせることが申し訳なく、できるだけ人目につかぬよう大通りから裏道へと入って行った。
この時の痛い経験から“乗ってみたいけど恥ずかしい”という心理をいかに払拭させるかが、この仕事のキーポイントである点に初めて気付いた。

そのノウハウを体得するまでには今しばらくの年月を要することになるのだが、当時は必死の思いからご乗車される方ににわかせんぺいのお面をつけて顔がわからないようにしてもらおうかという突飛なことまで本気で考えていた。

【故西島伊三雄さんとの出会い】

博多町家ふるさと館前にて開業して二日目、着物を着た年輩の男性がふらりと自分達の前に現れた。
「こりゃまた、何な?」
一瞬怒られるのかと思ったが、次に出てきた
「いやあ、懐かしいねえ。」
という言葉と好意的な笑顔で一安心。あわてて名刺交換をさせてもらったが、その方がここふるさと館の館長であり、童画家の西島伊三雄さんであった。

当時まだ博多のことをよく把握していなかったので、後から近所の方に聞いてみると
「博多で西島伊三雄さんを知らんかったらモグリくさ。」
とまで言われ、有名な方とわかった。

ほのぼのとしたタッチの童画は勿論、福岡市営地下鉄各駅のシンボルマーク等、その作品は福岡市民なら必ず見たことがあると言っても過言ではない。その西島館長から
「今度時間ある時に館長室に来なさい。」
と声を掛けられ数日後、小串氏と共に二階の部屋へいそいそと上がって行った。

部屋の中にはもう一人年輩の男性がいて早速名刺をいただくと“西日本新聞社 客員編集委員 江頭光”とあった。
この方のことも後日知ることになるのだが西島伊三雄さんの絵とのコンビで数多く歴史書を書かれている著名な方であった。

そんなことを知る由もない自分たちは色々と身の上話を聴いてくれるのかな、と半ば期待していたのだが、お二人の昔話を延々と聞かされることとなった。先方の話が終わるやいなや
「まあ、じゃあ今日はそういうことで」
と、博多のおいしゃん達にはよくありがちな一方的なエンディングであった。

ただ、後日ふるさと館の管理課長同行の上、福岡市役所の観光関連の部署を訪問させていただくことになり、しっかり面倒をみてくださった。
その後もこの時の出会いがご縁で色々と支援して下さったことにはご本人亡き今も本当に感謝している。

to be continued・・・

いきなり創業へ!

2008年 1月 15日

【あっけない博多の町デビュー】

その後、6月末までは肉体労働のバイトをやりながら博多の町中にデビューするタイミングを見計らっていた。

そしていよいよ6月29日(土)小串氏と共に衣装を着て練習しようという話になり、石蔵酒造さんから何故か訳もなく櫛田神社方面に向かって歩き出した。
この時の衣装はまだ半纏が完成しておらず初夏ということもあり、サラシを腹に巻いた和太鼓スタイルに地下足袋といういでたちであった。

酒蔵を出てから大博通り(JR博多駅前の大通り)にさしかかると車の通行量は一気に増え、さすがにドライバーの方の視線が気になる。
信号が青に変わるのを今か今かと待った後、人力車はいよいよ櫛田神社の参道へ。博多が地元ではない自分たちは近所の方から白い目で見られるのではないか、とおそるおそる歩いていると、近くのお店やお宅からオジサン、オバサン達が次々出てきて妙に親しげに声を掛けられる。

「人力車!懐かしいねえ。何しようと?」
「これから人力車を使った仕事を始めようと思って練習に来ました。」

福岡市の管轄する博多町家ふるさと館の建物辺りでその波はピークに達し、そこの管理課長Mさん始め職員の方までぞろぞろやって来られた。
いきなりM課長から「今、新聞社に電話したので取材に来るまでここで待ってて。」とか櫛田の焼き餅屋の大将・荒牧さんから「俺が櫛田神社の宮司に話をつけるから1000円でお祓いを受けさせてもらって来い。」とか訳のわからない大騒動になり、練習どころではなくなってしまった。

しばらく待機していると西日本新聞社の担当のH記者が現れ、早速取材を受けることに。
時期的に翌月の7月1日から博多祗園山笠の祭りが始まることもあり、これをキッカケに営業開始します!と勢いで言ってしまった。
ただの練習で来たつもりがいきなり創業へ、というのが偽らざる真実なのであります。

櫛田神社

【平成8年7月1日、人力屋創業の日】

博多祗園山笠初日のこの日、櫛田神社表参道(博多町家ふるさと館前)にてめでたく人力屋の開業となった。
とはいえ大した準備もしておらず、料金表をパソコンで作ってプラスティックのファイルに入れた程度のことだ。料金も気軽に乗れるようにとの単純な発想で、お一人様 10分 1000円の設定。山笠の祭りは始まったとはいえ、この日1日は平日(月曜日)で人の姿もまばら。

この場所で営業してみて初めてわかったが、知名度のある神社なのに普段は閑散としているのだ。ゲッ!これは大変な場所で営業を開始してしまったと後悔したが、新聞に出た以上後にはひけない。とりあえず約2週間の山笠期間は売上に関係なく継続しようという話に落ち着いた。

to be continued・・・